1888年(明治21年)11月 現在の山陽本線を建設・運営した私鉄である「山陽鉄道」が、初の開業区間である兵庫駅?明石駅間を開通させる。
1889年(明治22年)9月 山陽鉄道は神戸駅?兵庫駅間を開業させ、官営による現在の東海道本線と連絡するようになった。
1894年(明治27年)10月 山陽鉄道が、神戸駅?広島駅間(この年6月に開業)に日本初の長距離急行列車を運行開始。この当時は急行料金は徴収せず、普通列車同様乗車券のみで乗車できた。神戸?広島の所要時間は上下列車それぞれ8時間47分・56分であった。
1895年(明治28年)10月 急行列車は官営鉄道東海道本線に乗り入れ、関西の発着駅を京都駅とする。(後には大阪駅発着の列車も設定)
1899年(明治32年)5月 当時昼行・夜行あわせて4往復あった急行列車の内1往復に日本初となる食堂車を連結。
1900年(明治33年)4月 夜行急行列車1往復に、日本初となる寝台車を連結。
1901年(明治34年)5月 山陽鉄道が神戸駅?下関駅間を全通させる。4往復の直通急行列車が設定され、うち1往復は「最急行」と呼ばれ特に高速で走った。神戸?下関間の最急行の所要時間は上下それぞれ12時間35分・40分であった。
1903年(明治36年)2月 最急行は神戸?下関間の所要時間を上下それぞれで11時間30分・20分にまで短縮、日露戦争前の最高記録となった。
1904年(明治37年)7月 日露戦争勃発の影響により、急行列車が全廃。
1905年(明治38年)8月 官営鉄道の東海道本線と乗り入れ、新橋駅?下関駅間直通の急行列車を登場させる。しかしながら時期尚早だったのか、3ヶ月で廃止となった。新橋?下関の所要時間は上下それぞれ35時間16分・5分だった。
1906年(明治39年)4月 「最急行」が復活、しかし神戸?下関間の所要時間は13時間30分前後と戦前よりだいぶ遅くなった。
1906年(明治39年)12月 山陽鉄道、 鉄道国有法の公布により国有化。
鉄道国有化後 [編集]
1907年(明治40年)3月 新橋駅?下関駅間に直通の急行列車である5・6列車を設定。全区間所要時間は上下それぞれ26時間55分・28時間45分であった。
1912年(明治45年)6月 新橋駅?下関駅間に、日本初となる「特別急行列車(特急列車)」の1・2列車が運行を開始した。この列車に乗るには乗車券の他に特別急行券を必要とし、山陽本線では初の有料速達列車となった。新橋?下関間の所要時間は上下がそれぞれ25時間8分・15分であった。
1919年(大正8年)8月 東京駅(1914年<大正3年>12月に開業し、新橋駅に代わる東京のターミナル駅となった。)?下関駅間にそれまでの食堂車が高級な「洋食堂車」であったのに対し、大衆向けの「和食堂車」を連結した急行列車である、3・4列車が設定される。
1923年(大正12年)7月 東京駅?下関駅間に、それまでの特急列車であった1・2列車が一等車・二等車のみの編成だったのに対して、大衆が利用していた三等車のみで編成された特急3・4列車が新設される。食堂車も1・2列車が洋食堂車だったのに対して、3・4列車は和食堂車だった。
戦前黄金時代 [編集]
1929年(昭和4年)9月 1・2列車に「富士」、3・4列車に「櫻」という愛称が付けられた。これが日本における「列車愛称」の始まりである。
1930年(昭和5年)10月 「富士」・「櫻」ともに大幅なスピードアップが図られる。
1934年(昭和9年)12月 山陽本線の麻里布駅(現、岩国駅)?櫛ヶ浜駅間のルートは、それまで海岸沿いの柳井駅を経由するものであったが、 この時山沿いを経由する路線(岩国駅(現、西岩国駅)・周防花岡駅経由、現在の岩徳線ルート)が完成して同経路が新しく「山陽本線」とされ、旧ルートは支線の「柳井線」となった。これに伴うダイヤ改正では特急「富士」・「櫻」は新ルート経由となったが、急行列車は新ルートの線路容量が単線で少ないことや、勾配が若干急であること(最大10‰(パーミル)、1000mあたり10mの高低差)、港町であった柳井の重要性が未だ高かったことなどから、全3往復の内1往復は柳井線経由で残された。またこの時東海道本線や長崎本線でも大幅なルート変更が行われており、日本各地のどの優等列車も軒並みスピードアップされた。そしてこの頃が、戦前の鉄道黄金期であった。この改正当時の山陽本線優等列車の概要は、下記の通りである。
特急列車 下記の2往復。
「富士」 東京駅?下関駅間運転。この改正でそれまでの一・二等車のみであった編成を改め、三等車が連結されるようになった。しかしながら高級列車であることは変わらず、また満州からロンドン・ローマに至るまでの国際連絡運輸の一環をなす列車でもあったため、最後尾には一等展望車が連結されるなど、日本の威信を象徴するような設備・装飾が施されていた。
「櫻」 東京駅?下関駅間運転。この改正でそれまでの三等車のみであった編成へ、二等車が新たに連結されるようになる。
急行列車 3往復設定。いずれも東京駅?下関駅間の設定で、1往復(9・10列車)は山陽本線内で夜行運転、残り2往復(5・6列車、7・8列車)は昼行運転であった。うち7・8列車と呼ばれる1往復は、「富士」同様国際連絡運輸の一環をなしていて、山陽本線の優等列車では「富士」以外では唯一の洋食堂車を連結し(他列車はすべて和食堂車)、一等展望車も連結していた。また下りの5列車と上りの8列車は、前述した柳井線を経由する列車であった。
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1935年(昭和10年)11月 呉線の三原駅?海田市駅間が全通し、急行7・8列車が同線経由となる。以後呉線は、山陽本線が瀬野駅?八本松駅間に22.6‰(1000mあたり22.6mの高低差)の「瀬野八」と呼ばれる急勾配区間を抱えていて、補機(補助機関車)を必要とするなど輸送力の障害となっていたことなどから、同線のバイパスルートとしての役割も担う事になった。